研究内容

私たちの研究について〜分子集合体を創る〜

 

ホームページトップにはロボットがドカっと描かれていますが、ロボットを作ったりデザインしたりする研究室ではありません!
将来まるでロボットのように働く「分子集合体」というものを作りたい、という思いから、このようなデザインでホームページをリニューアルいたしました。

分子集合体とは、名前の通り分子が集まったものです。これは液晶とか結晶も含まれるかもしれません。関連する言葉に超分子化学っていう分野があります。
超分子(Supramolecular)という単語はそのまま読み取ると、チョー(super)すごい分子ってことになるけど、superではなくsupraなので、もはや「分子を超えた存在」という意味が込められています。

分子も人間と同じで、一個ではできることが限られていますが、何個か集まったり、あるいは何千何万と集まると、個々の分子ではなし得ない性質や機能が生まれたりします。

こういう化学を扱うのが、超分子化学です。 例えば、単体では全然光らないような分子が、集まることでたちまちビカっ!と光るようになります。これも一つの機能ですね。

分子集合体は、自然界にあふれかえってます。私たちの体を構成しているタンパク質分子や核酸分子なんかも、分子集合体を形成し、その集合体がさらに集合し、というふうに階層的にスケールアップしていって生命が出来上がっています。

私たちの研究室では、特別にデザインされた新しい有機分子を合成し、それらを集合させることで唯一無二の分子集合体を創出します。

研究スタイル

研究室に入ると、まず数ヶ月から半年ほどかけて、世界に一つしかない分子を合成します。自分だけの分子ってすごいですね。分子が完成する前から興奮しますね。

でも焦らず、まずはじっくり色々な合成法を学んでください。

ターゲットとする分子が完成すると、その分子が集合する条件を見つけます。非常に小さな構造を見ることができる特殊な顕微鏡(AFMといいます)を用いて集合体の構造を探り、さらに様々なスペクトルを測定して、その構造の裏付けを行います。その後、自分が作った集合体がどんな特別な性質を持っているか、どんな新しい現象を示すか、分子の本質を求めて長い旅に出ます。

ターゲットとなる分子の設計(分子デザイン)は、まず初めは私が大学院生と相談して決めますが、うまくいかないこともあるので、失敗したらゴメンって謝ってます。我々も責任を感じて結構凹んでますので許してください。

しかし! 失敗した時こそチャンスです。分子は必ず何らかの暗号を出してくれます。その暗号を読み解くと、次にやるべきことが自ずとわかってくるかもしれません。あるいは、失敗だと思っていたことが、全く新しいサイエンスの始まりだったということもこれまでにたくさんありました。

具体的な研究紹介

今研究室で扱っている分子は大きく分けて2種類です。たったの2種類!!

湾曲する超分子ポリマー

特殊な分子デザインで裏打ちされた芳香族系の分子を集合させ、美しく機能的な超分子ポリマーを創ります。

超分子ポリマーとは、モノマー分子が非共有結合によって連がってできる、まるでポリマーのような分子集合体のことです。下図はヒモのようなものが束になっていますが、この一本一本が超分子ポリマーです。ウチの自慢の原子間力顕微鏡(AFM)で測定しました。とても綺麗ですね。

超分子ポリマーは非共有結合からなるために、普通のポリマーに比べて材料としては弱いです。しかし、分解したり再生したりすることができるため、今世界中で注目されている材料の一つです。生体の中ではさまざまな超分子ポリマーが分解したり再生したりして生命機能の一端を担っています。

私たちの研究室では、これまでに誰も見たことがないようなうっとりするような一度見たら忘れられないような「カタチ」を持つ超分子ポリマーをたくさん発表してきました(総説:Acc. Chem. Res. 2019 ; Acc. Mater. Res. 2022)。以下で具体的な成果を紹介します。

 

・リングとラセン
例えば、リング(環)が例に挙げられます(下の図の左から2番目)。私たちの身の回りには、たくさんのリング状の道具や構造体があります。それらは意味があって環構造をしているはずです。そこで超分子ポリマーでリングを作る研究に取り組みました。下図のAFM画像にあるように、ファイバーからスタートして、分子構造を少しずつ変えていくうちに、ファイバーに「曲率」を発生させることに成功し、世界で初めて均一な輪っかを作ることに成功しました(J. Am. Chem. Soc. 2009; Angew. Chem. Int. Ed. 2012; Angew. Chem. Int. Ed. 2016)。

でもリングを作ったのはいいんですけど、私たち自身、このリングがどんな風に使えるのかさっぱりわかりませんでした。別に面白いからいいんですけどね。研究は面白い!と思えるのがまずは大事です。しかし、思わぬ展開があり、時間はかかりましたが、輪っかで止まらずにどんどん繋がってリングと同じ曲率を持ったランダム構造を経て、ついにめちゃくちゃ綺麗なラセン構造やウェーブ構造(Chem. Commun. 2021)を作ることに成功しました! (上図下段)。

しかも、このラセンはちょっとすごくて、作りたての時はランダム構造が混ざっているけど、1週間ほど放置しておくだけで超美しいラセンへと折りたたまれるんです(Science Adv. 2018プレスリリース)。まるでタンパク質のようです。

このようにして、リングからラセン、さらにウェーブへ展開することに成功しました。リングとラセン・・・ゾクゾクしますね。ジャパニーズホラーの醍醐味ですね。

・超分子共重合によるカタチの制御
ここからは、1種類の分子だけではなく、2種類の分子を混ぜて色々なカタチを作る研究を紹介します。

すでにご紹介した綺麗なラセンを作る分子は、 「ナフタレン」という化合物を中心部に持っていました。そこで次に、ナフタレンの姉妹分子とも言える「アントラセン」を持った化合物を作ってみたんです。アントラセンの方がよく光るので、光るラセンができたらかっこいいですよね!

しかし、残念なことに、アントラセンを持つ分子は全くラセンにならず、まっすぐなファイバーを与えました。研究をやっていると、予想した結果が出ないことがたくさんあります。誰も、AIでさえも、今はまだ正確に予測できません。分子と分子の相互作用を正確に予想することはとても困難なのです。

でも、転んでもただでは起きないのがウチの研究室です。ピンチこそ新しい研究を展開するチャンスです。このうまくいかなかったアントラセン分子を、生かす方法を考えました。そうです、「困ったら混ぜろ!」です。ラセンになるナフタレン分子(赤)とまっすぐ伸びるアントラセン分子(青)を混ぜてポリマーを作ってみました。すると!なんと、まっすぐなファイバーの末端がラセンになった、“キメラ構造”ができちゃったんです(Nature Commun. 2019プレスリリース)。後で説明しますが、これはアントラセンとナフタレンがAAAAAABBBBBBのように繋がっているので、ブロック超分子共重合と呼びます。こんな構造今まで誰も作ることができませんでした。これは画期的な成果です。メカニズムは、簡単に言うと、「嫌いだけど好き」、みたいな感じですかね。

 

螺旋を作る方法は他にもあります。2012年に見つけていたリングを作る分子なのですが、分子の一部がエーテル結合なのです。じゃあこれをエステル結合にするとどうなるんだろう?と言うことで、エステルを作ってみると、エステル化合物はリングを作らず、まっすぐなファイバーを与えました。

酸素原子一つの違いなのでとても不思議ですが、極性のあるエステル基同士が反発するのかもしれません。だから私は、エステルはダメね、諦めなさい、と言ったんですが、その先輩は諦めずにエーテルとエステルを混ぜてみたんです。「困ったら混ぜろ!」ですね。キメラ構造でも同じですが、ウチでは万一作った分子が面白くなくても、敗者復活みたいなチャンスがあるんです。そうです、自分の分子がイマイチだったら、隣のあなたの分子と混ぜてみましょう。

エーテル(赤)とエステル(緑)を混ぜると、リングもファイバーも何も見えませんでした。お互い足を引っ張り合ってるんです。しかし、驚いたことに1週間ほっておくと・・・これはびっくり、ラセンがウニョウニョと成長していました!エーテルだけではリング、エステルだけではファイバーなのに、混ぜると両者のいいところをとって、ラセンになるんですねえ!こう言う現象をシナジーって言います。

しかも、このラセンはエーテルとエステルが絶妙な相互作用によってABABABABABABのように繋がった交互超分子共重合という現象が起こり、出来上がることがわかりました。このように2種の分子が規則正しく配列した状態は、乱雑さの指標となる「エントロピー」的にとっても不利な状態です。でも絶妙な相互作用によって「エンタルピー」的に得するため、ゆっくりとラセンが成長するんです。

エントロピーがよくわかんなくて毛嫌いしている人いませんか?ウチに来るとエントロピー大好きになります。エントロピーは温度に敏感なので、温度を上げていくと、エントロピーがエンタルピーに優って、ラセンがいきなり破滅的に崩壊します。相転移という現象です。面白いですね。ある温度でいきなり溶けるんです。普通は徐々に溶けるものなのですが(Nature Commun. 2020プレスリリース)。

 

上記した二つの「困ったら混ぜろ!」研究によって、超分子ポリマーにおけるブロック共重合と交互共重合が実現しました。混ぜることで新しいカタチが生まれるのはとても興奮するな。さて、今例えば二つの分子をそれぞれAとBと表すと、ブロック共重合はAAAAAABBBBBBのように書け、一方交互共重合はABABABABABABと書けます。では、二つの分子がAABABBABBAAABのように規則性がなく混ざりあうことってあるのでしょうか?これは、ランダム共重合と言いますが、意外とこれが難しいんです。同じような強さで会合する分子を混ぜればランダムに混ざるのですが、これでは新しいカタチは生まれません。同じような強さで会合するけど、ぜんぜん違うカタチへと重合する2種の分子を混ぜ合わせることで実現するはずです。

 

ここでは、リングを作る分子と同じような強さで会合するけど、まっすぐに伸びてしまう分子が偶然発見されました。そこでリング分子(赤)とまっすぐ分子(黄色)を混ぜたところ、初めはまっすぐに伸びたポリマーができますが、徐々にリング分子が入っていって湾曲を帯びて行き、最終的には、蚊取り線香のようなランダムコポリマーが出来上がりました。さらに、黄色い分子には光に反応する置換基が付いていますので、光を当てると赤と黄色の分子を分離することができます(J. Am. Chem. Soc. 2022プレスリリース)。

 

これらの研究により、ブロック、交互、ランダム、とポリマー合成でも大事な三つの共重合が超分子ポリマーでも達成でき、それによって新しいカタチを生み出すことができました。

・自発的に分解して結晶化する超分子ポリマー
さて、上にも登場した、私がダメ出ししていた「エステル系分子」ですが、最近この子そのものでもかなり面白いことがわかってきました。エステル系分子が形成するウネウネした超分子ポリマー(オレンジ色に光る)をちょっとおいておくと、分子の集まり方が変化して、より「硬い」結晶のような、緑色によく光るナノシート構造を形成することがわかりました(Chem. Commun. 2020; Chem. Lett. 2020)。しかも芳香族部分の構造をもう少し工夫すると、めちゃくちゃよく光るナノシートを作ることもできました(Chem. Sci. 2021)。ナノシート、これから発光材料として眩しい展開が待っているに違いありません。

 

このように、一つの分子が複数の集合状態をとる現象を、多形(ポリモルフィズム)と言います。集合状態は分子の溶解性や固体での性質を左右する非常に重要なファクターなので、多形は創薬の分野でも非常に重要な研究課題です。いいお薬を作っても、溶けないと意味がありませんからね。

また、多形は条件次第ではある集合状態から別の集合状態に変化することもあります。この変化を利用すると、安価かつ大面積化が可能な「溶液プロセス」を用いた高性能な有機デバイスの作成に応用できます。つまり、溶けやすくて扱いやすい状態で分子の膜を作り、その後分子が優れた性能を示す配列に変化させる、というアイデアですね(J. Am. Chem. Soc. 2012)。

さらに、多形現象をうまく使うと、特定のカタチの超分子ポリマーを取り出すことができます。例えば、末端のないリングと、末端があるファイバーの混合物が得られたとします。この混合物の溶液を加熱していくと、末端があるファイバーだけが不安定なために集まり方が変化し、すぐさま結晶性の繊維構造を形成して、沈殿します。一方、リングは末端がないために安定であり、変化しません。なので、沈殿した結晶を濾過すれば、溶液にはリングだけ残ることになります(J. Am. Chem. Soc. 2019)。これはすごい方法ですね!!末端のない環状構造が化学的に安定であることはタンパク質でも知られており、さらに我々の生活レベルでも理解できます。

例えば、細い糸をより合わせて作った縄を考えてみてください。縄の末端は、何も処理を施さない限り、ほつれやすいことは容易に想像できると思います。もし仮に、縄が末端を持たない、すなわち環状であったとしたらどうでしょうか?

それらは、ほつれを生じさせる「きっかけ」となる部分が存在しないために、ほつれにくくなるでしょう。同じことが、分子が集まってできた微小な構造においても起こりうるのです。理屈ではわかっても、実験的に証明するのはとても難しいので、この現象を見たときは驚きました。また、エステルを導入しなくても、溶媒をうまく選定することで、特定のカタチだけを取り出すことができるようになってきました(Chem. Eur. J. 2020)。

・光応答性超分子ポリマー
私たちの目はなぜ見えるんでしょう?
実は、分子が光を吸収して形を変える性質(光異性化)が視覚の根源です。ものが見えるなんてえらいハイテクなようで、実は分子の機械的な動きが重要なんですね。この仕組みを真似ることで、超分子ポリマーの形や状態を変える研究をしています(Chem. Eur. J. 2005; Chem. Soc. Rev. 2008)。

例えば、私たちの作ったラセン状の超分子ポリマーにアゾベンゼンを組み込み、紫外光をあてると、ほどけて伸びたりするんです!(Nature Commun. 2017プレスリリース)。まるでタンパク質の変性みたいで、結構インパクトがありますね。この光で解けるラセンを形成する超分子ポリマーは柔らかいので、解け方としては、あらゆる部分から緩んでいって解けます。

しかし、少し分子設計を工夫して超分子ポリマーを硬くすると、末端から解けることがわかりました(Angew. Chem. Int. Ed. 2021)。この端っこからほどけていくAFM画像はちょっと興奮するな。

さて、多形のところでリングはとても安定、と言いましたが、リング状の超分子ポリマーにアゾベンゼンを組み込むとどうなるでしょうか?リングを安定化する溶媒中で光を当ててもリングはびくともしませんが、リングを弱くする溶媒を少し加えてから光を当てると、リングがパカっと開いて、長いポリマーへと成長することがわかりました(Angew. Chem. Int. Ed. 2019)。光開環超分子重合と言えますね。

また、上記の光応答性超分子ポリマーはアゾベンゼンという古典的な光異性化分子を使ってカタチを変えていましたが、他にもたくさんの光異性化分子があります。特にすぐれた性質を持つ光異性化分子の一つとして、九州大学名誉教授の入江正浩先生が開発された、ジアリールエテンがあります。光異性化にともなって色がとてもビビッドに変わるのですが(フォトクロミック分子と呼びます)、それだけではなく、光による可逆的な異性化や熱耐性、さらに共役長の変化、といった多くの優れた性質を有するフォトクロミック分子です。このジアリールエテンを我々の超分子ポリマーに導入することで、すごいことができました。アゾベンゼンの時は一旦光で解けたラセンを元に戻すことは難しかったのですが、ジアリールエテンを使うことで、ラセンとランダムの状態を紫外線と可視光で可逆的にスイッチすることができました(J. Am. Chem. Soc. 2021)。将来このようなポリマーを大量合成することができれば、光で粘度等が瞬時に変わるゲルのような材料を開発することができるでしょう。

・究極の分子集合体:メゾ領域への扉を開く
そして遂に、矢貝研究室の(というか世界の)歴史に残る分子集合体が出来上がりました!(Nature 2020, Nature NEWS AND VIEWS, C&EN, プレスリリース, ChemStation, 有機化学美術館・分館, YouTube) リングができたら終わりと思っていましたが、なんとリングの中からリングができやすいということがわかったのです。 ちょっと難しい言葉ですが、二次核形成という現象です。 この二次核形成をうまく引き起こすことで、鎖のような構造ができちゃうんです(ポリカテナンと言います)。

下の画像は5個のリングが繋がったオリンピックロゴのようなカテナン([5]カテナン)です。有機合成を用いたカテナン では、1994年にノーベル賞受賞者であるStoddart博士によって初めて[5]カテナンが合成され、olympiadaneと名付けられました。我々のカテナンは大きさが80nmもあるので、Nanolympiandaneと名付けました。さらに調整法を工夫することで、枝分かれも含んで推定22個のリングが繋がったNanopolycatenaneを作ることもできました。この研究には矢貝研究室で開発された数々の技術がふんだんに用いられていますので、Natureに掲載された、論文をぜひチェックしてみてください。YouTubeにはポリカテナンが出来上がる動画もありますので、ご覧ください。

以上、矢貝研究室は、一つの大きなテーマとして、さまざまなカタチを持った超分子ポリマーを作ってきました。これらはみな、数nmからμmを繋ぐ5〜500nmのサイズ領域にあります。このサイズ領域はメゾ領域と呼ばれ、実は最も構造制御が困難な領域とされています。従来の超分子ポリマーは自発的に伸びてしまうので、メゾ領域で形を作ることが困難でした。我々は湾曲する超分子ポリマーを利用し、さまざまな意味のあるメゾ領域構造を作り上げてきたと言えます。

ハサミ分子系

当研究室が誇るもう一つの研究は、「ハサミ分子」と呼んでいる分子達が示すすごい世界です。下の図の一番上にある分子がハサミ分子です。まるでハサミのように開閉します。溶液の温度が高いと、ハサミは開いています。溶液の温度を下げていくと、ハサミが閉じて、驚くことにリングを作るんです!またリング?って思うかもしれないのですが、このリング、さらに冷やすと積み重なってチューブになるのです!下図のAFM像ではチューブ(中空)かどうかはわからないのですが、物質に電子を透過させて観察する透過型電子顕微鏡(TEM)という装置を使って観察すると、ちゃんと中が空っぽなのがわかりますね。壁の厚みは4 nmで、これがハサミのサイズに対応します。

「湾曲する超分子ポリマー」で散々出てきたリングは積み重なったりしなかったので、全く性質が異なるリングができたということです。このハサミ分子は光を当てるとtrans-cis異性化するアゾベンゼンも持っているので、リングとかチューブに「光」を当てると、バラバラに崩壊します(J. Am. Chem. Soc. 2012; Eur. J. Org. Chem. 2020; Org. Biomol. Chem. 2020)。リングやチューブの内側を特殊な環境にしておけば、将来きっとすごいことができると思います。

上のハサミ分子の先っちょには、キラルな側鎖というものが付いています。キラリティという性質は、手のような性質を指し、鏡にうつしたものと重なり合わすことができないという性質です。我々生命を構成する分子の多くがキラルな性質を持っています。キラルという性質は、創薬や機能性材料の世界でも非常に重要な性質であると同時に、自然界の分子がなぜ片方のキラリティを持つのか(ホモキラリティ)という問いは、サイエンスにおける最も興味深い問いの一つです。宇宙や量子化学にも関わってくる重要な性質です。
ハサミ分子の側鎖のキラリティが反転した分子(R体=青と、S体=赤)、見た目は全く区別できないリングとチューブができます。しかし、ラセン状にねじれた光を用いた特殊な測定(CDスペクトルと呼びます)によって、ハサミが閉じる時にねじれが生じ、右利き用のハサミと左利き用のハサミができ、その結果リングもチューブもキラルであるということがわかりました。

さらに、これらをさまざまな比で混ぜ合わせると、より多い方の閉じ方に従う、という面白い現象が発見されました。つまり、R体は本来右利きのハサミを与えるはずですが、RとSを4:6で混ぜると、マイノリティであるR体もマジョリティであるS体に従って全部が左利きのハサミになってしまうのです。その結果、左まきのリングやチューブができる、ということです。面白いですね。こういう現象を多数決の法則(マジョリティルール)と言います。地球上のホモキラリティを解き明かす一つの重要な性質かもしれません。

ハサミ分子の面白いところは他にもたくさんあります。その一つが、リング以外の集合経路があるところです。少し前の先輩の研究ですが、アゾベンゼンの代わりにスチルベンという光で反応するユニットを導入したハサミ分子は、リングを形成せずにラセン状に積み重なり、ラセンファイバーを形成することがわかりました。しかも、らせんに光を当てるとスチルベン分子間で光反応が起こり、それがきっかけとなってキラリティが反転するという現象も見つかっています(Nature Commnun. 2015プレスリリース)。

さらに、側鎖に分子間相互作用が強いフッ素を入れると、同じようにリングにならずにファイバーを形成し、溶媒を固める(ゲル化)こともわかりました(Chem. Comm. 2020)。ハサミの部分の相互作用を強くすると、リングを形成できず、直線的な自己集合経路が生まれることは明らかなようです。

一方、予想外の結果も得られています。ハサミ分子の側鎖にとても嵩高い(バルキーな)置換基を導入したところ、溶液の温度をどんなに下げてもチューブにならないリングができることがわかりました。このリングのAFM画像を見ると、リングの中心部分が盛り上がっていることがわかりました。まるでフジツボですね。。。気持ち悪くてすみません。このAFM画像から、リングの中心が盛り上がっているので積み重なりにくくなる、ということがわかりました。今後、リングの穴の性質を変化させることで、他の物質を取り込んだりすることができるようになるかもしれません。

側鎖の相互作用が強く、しかもさらに嵩高かったらどうなるでしょうか?リングに集合する経路とラセン状に集合する経路のどちらを取るのでしょうか?これを調べるために、中年の敵であるコレステロールを導入しました。コレステロールはとても嵩高いのですが、同時に分子間相互作用が強くて凝集性があります。血液中のコレステロールが高いと血管が詰まって危ないですね。気をつけます。このコレステロールを導入したハサミ分子は、リングとラセンファイバーの両方を形成することがわかりました。多形現象ですね。しかも、このリングとラセンの多形は、光を用いることで、ある程度その割合を制御できることもわかりました(Chem. Sci. 2022)。

最後に

二つの研究テーマを紹介してきました。どちらのテーマも、湾曲が鍵になっています。全く異なる2種の分子デザインから、湾曲を生み出せたことになります。いずれも湾曲発見のきっかけは、リングでした。このリングを開いてつなげてラセンにしたり、重ねてチューブにしたりして、あたらしい世界が広がっていきました。

これらの物質がどのように利用できるかはまだわかりません。そもそも決まった曲率で曲がる分子集合体というものが世の中にはなかったので、これまでにない素材、現象、そしてその根底にある原理を見出したことになります。

面白い!と思ったらとことん調べ、なぜこれができるんだろう?どうして思ったような結果にならなかったんだろう?と悩みながら研究室で一丸となって議論していくうちに、新しいサイエンスが潜んでいることに気がつくのです。面白い!という直感は本当に大事です。

湾曲の魅力を十分に理解した今だからこそ、新しい研究の始まりだと感じます。湾曲のサイエンスを駆使すれば、メゾ領域においてロボットのように仕事をする超分子ポリマーの開発が可能になるかもしれません。我々の真の挑戦はこれから始まります。