長文は悪文

 科学論文の書き方に関するいろいろな本に、「長文はよくない」と述べられている。ところが、樋口一葉の「たけくらべ」を読んでみると驚く。文の切れ目である句点(。)を探してみた。なかなか句点にたどりつかない。3ページ進んだところでやっと句点を見つけた。なんと1つの文が3ページにも亘っているのだ。文学作品はそれでもよい。というより、私などが何にも評論できないすばらしい作品だ。しかし、科学の記述は別世界なのだ。物事の現象を曖昧さなしに正しく伝えなくてはならない。そのためには、短い文をうまく組み立てて文章をまとめ上げることが肝要だ。

 「悪文よ、さようなら」のページに書いた文を科学論文初心者が書いたら次のようになるかもしれない。

「このコーナーは、私が、現在千葉大学名誉教授名誉教授であり、文章に大変厳しかった、私の前任の佐々木義典先生のおかげで、「こういう文はいけないのだ」と、少しわかるようになってきたことや、現在残念ながら廃刊になってしまっている、インタープレス社発行、井上章先生の「避けたい悪訳・誤訳30講」が大変参考になったことなど、先人から学んだことを広く知って頂くために開設した。」(180文字)

大変読みにくい文であることはわかって頂けると思う。初心者は、「あのことも言わなければならない、このことも言わなければならない」と思う。そしてそれらを一つの文で述べようとする。文頭の「このコーナーは」は最後の「開設した」にかかる。このような長い文を書いているうちに書き出しと書き終わりが変質してしまうことも起こる。4年生の卒研の原稿に多い。たとえば例文の最後が、「広く知って頂きたいと思う。」とかなってしまうことだ。長文だからその過ちに気付きにくい。その文の骨格を抜き出すと、「このコーナーは...知って頂きたいと思う。」となる。

 文を良くするこつは、言いたいことを一つ一つの文にして、それを順序立てて並べることだ。そのとき、適当な接続詞を入れると文の流れがよくわかるようになる。例文では、次のような情報を伝えている。

l        「このコーナーは、私が先人から学んだことを広く知って頂くために開設した。」

l        「私は、『こういう文はいけないのだ』ということが、少しわかるようになってきた。」

l        「それは、佐々木先生のおかげだ。」

l        「私は、インタープレス社発行、井上章先生の『避けたい悪訳・誤訳30講』が大変参考になった」

l        「この本は廃刊になってしまっている。」

l        「廃刊になったことは残念だ。」

l        「佐々木義典先生は、現在千葉大学名誉教授名誉教授だ。」

l        「佐々木先生は、私の前任者だ。」

l        「佐々木先生は、文章に大変厳しかった。」

 読者はこれらの情報の間の相互関係を一時(いちどき)に解析しなければならない。これが、長文が良くない理由だ。コンピュータ用語に、「スタックする」という言葉がある。あるデータを一旦積んでおいて、必要なときに取り出す機能だ。長文に関しては、一つの文の中に現れるいろいろな情報を頭の中にスタックしなければならない。大変な負担だ。つまり読みにくい文と言うことだ。更に問題がある。長文故に、必要な情報を省略してしまっていることがある。学生の長文を分解しようとしたときしばしば困ったことが起こる。「何が」、「何を」が明確でないため、短文をつくれないのである。「長文により大切な情報が失せる」という問題も起こるのである。

 一文は50文字以内になるように、文を工夫してください。読みやすく、正しく事柄を伝えることのできる文章になります。

 

注:文と文章:句点で区切られるひとまとまりの記述を「文」という。文の集合体を「文章」と呼ぶ。

  引用に関してははやむをえないことがある:括弧内に引用を入れるとき、全体の文字数が50文字を越えてしまうのは仕方ないでしょう。また、法律名のように、長ーい固有名詞も仕方ないでしょう。ただ、何度も出てくるようだったら、「以下、何々と省略する」として、略号を使うのがよいでしょう。

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