Manifesto

私たちのGroupメンバーに適用される武家諸法度です。

研究室は,学問と教育における理想に拠って存在するべきものです。浮世に生きる私たちは,教員も学生も! 現実のタイムラインと経営的理由の中で,雑用のように?研究を「こなし」始める.我々の志の低下を戒め合うために,以下のメモを掲げておきます。

うちに興味を持つ人(if any)
下のマニフェスト4項目に賛同できるかどうか考えて,うちの門を叩いてほしい。

すでにウチに居る人
たまには以下を読み返して,(1) 君らの研究が「梅野研的」か,(2) 君らが僕の同士として生活できているか,(3) 僕がマニフェストに従って行動しているか,チェックしてほしい。もし首を傾げるならば,すぐ会議です!

1. 研究とは、知的生産とみつけたり

「知るは愉しみなり」、といいます。その通り!

...てことは、学ぶことは娯楽でしか,ないわけだ。

6・3・3・4年の間に,十分愉しんだでしょう? もっと知りたいでしょうが,そろそろ,その愉しみを創り提供する「知的生産」側に来ませんか? 知識や技術は、学ぶのではなく、私たち自身が創るものである。この認識によって、研究者としての人生は前に進みだします。その知的生産技術を学びたければ,うちは悪くない選択肢です。

うちの学科では,実験は好きだけど,研究をデザインしろ(考えろ)と云われるとモチベーションを落とす人を散見します。そういう人は,うちに来ると苦戦してます。漫然と勤勉に実験を「ガンバル」? これは思考の放棄のひとつの形であり、科学技術に関わる人生にとっては,戒められるべき状態です。
僕らには実現したい技術体系があり、実証したいアイデア・技術思想がある。そのMissionを理解・共感(あるいは批判)し,君ら自身がそれを実現(あるいは反証)したいなら,実験という肉体作業を敢えて甘受し,必要だからこそ渋々,続けられるのだろう。

この意味において,単に実験技法を覚えたい,手に職つけたい人は,ちょっとウチでは苦しむかもしれません。うちは,教わりにくるのではなく,知識やコンセプトを創りに来る人たちの集まりであってほしい。価値創造に失敗するのは,かまいません(うちの連中は,年中失敗しています)。考え尽くされた仮説検証の失敗ならば,かならず,何か学びをもたらす。失敗とは,初期アイデアの変更という価値創造なのだ。

うちの全てのテーマに「〜を開発する」という分かりやすい目標(タイトル)がついてます。しかしその裏には「じつはコレを知りたい・試してみたい」というナイーブだがinvaluableな「わくわく」があり,関係なさそうなテーマどうしは根っ子では渾然一体です。このレベルのMissionを理解するには、教養も必要です。だから,自ら周辺情報を探しもとめ、得た情報を統合・分析し,仲間との議論し、目前の課題を解いてゆく姿勢を求めたい。この冒険(リスクを含む宝探し/宝作り)を主体的に楽しむひとこそ、知的生産者として幸せに生きてゆけるひとであり,そして,僕というAdvisorと出会い生活をともにすべき人なのでしょう。

2. 研究者とは,産みの苦しみを知る者なり

山道を登るのもしんどいですが,その山道を創った人は,何万倍もキツかったはずです。同様に,知識を学ぶにくらべて、それを産み出すのは100万倍大変なはずです。それを正しく知り,それでも笑って道をつくる人を育てることが,うちの理想です。

どんなに優秀な人も、知的生産者として起つまでには、何度も途方に暮れる経験をします。世界基準にのっとれば,その1回目を学生(大学院生)のうちに経験し終えてほしい。この観点にたち,うちでは、皆さんが悩み,考え抜いてようやく成就するプロジェクト、君ら色にエンディングを仕上げる余地のあるOpen-endなテーマを工夫しています。

決まったレールにそって、とんとん拍子に成果を出し続ければ成功でしょうか? そうじゃなければ,不安でしょうか?いや,最も残酷なのは、知的生産の本質を知らずに「つるっ」っとこのステージをすり抜け、言い訳のできぬ年齢でプロの世界に放り込まれることです.いわゆるfalse-positiveな人生,いつ正当な評価を受けるかビビリながら一生を生きなければならない。そんなめに,諸君をあわせるわけにはいかないのである。

一方、完全な無産状態を回避するために、苦労している仲間には、ちょっと志の低い?分かりやすいテーマも付加的に提示します。ぼくには研究室の経営者として,諸君の活動環境を守る義務があり,無産にならないために,多くの踏み絵も踏みます。是非,それにもつきあってください。
…もちろん,それはあくまで! Side dishです。もし僕が弱気になって,志の低いことばかり君らに提示するようなことがあったら,どうぞ戒めてください。私もこのページを読みます。

3. Hypothesis Drivenな行動者であれ

実験と研究を混同する学生が、なぜか化学科には沢山居るようです。

これは残念なことです。

たしかに、研究者にとって実験技術は大きな武器であり,研究を勧める上での「必要条件」です(そして実験化学は,研究室時間における実験の比重が高い)。しかし、ただ実験が旨いだけでは,ぼくの作業協力者にすぎません。うちでも,いろんな装置や手法を使いますが,それらは所詮「手の部分」「作業」です。それらを学んでも、2月もすれば飽きてしまうし、メシの種にはなりません。

研究の本体であり,最も刺激的な部分は,その退屈なルーチンワークを繰り返す「理由(motivation)」にこそ,あるに違いない。これを意識して,最高の実験「デザイン」を諸君にはお願い(丸投げ)している。できたら,面白いテーマも創ってほしい。どうぞヨロシクなのである。

日々のことで云えば,君らの実験は、あなたの仮説に導かれた行動選択でなくてはなりません。このHypothesis-Drivenな研究生活が楽しめる人こそ、研究者という仕事に向いています。日々の実験は,君らの小さな仮説の検証作業です。結果予測が完了しているのだから,実験結果がでたその瞬間,「やったぁ!」「げげっ!」のどちらかの感情を抱き,次にやるべきことが微修正されるはずである。まだウチにも居るよね…実験結果をみて脳が回転しはじめる人…これは,研究者の資質がない人です。やった実験の数なんてへらしていいから,一発必中でエレガントに実験をやってくれよ…(金もスペースももったいないのだ…)

4. 研究室は、知の道場とみつけたり

実は研究室に入るということは、大きな投資であり、痛みを伴う決断です。

4年から修士までの3年間,そしてそれに続く博士課程の3年間は、皆さんの知力と解決能力が,人生で最も伸びる黄金期です。大学院で職能を「そこそこ」得る生活では,その間に起る,諸君の若さと可能性の恐ろしいほどの目減りに見合わない。自分が日々失うものを意識しながら,「学生ばなれした」「大人な」研究生活を送ってもらいたい。少年少女老いやすく,学成り難し,なのだ。

君らが「じつはBetさせられている」若さと可能性を無為に枯らさせぬよう,その頭脳と年齢に相応しい負荷をかけてゆくのが ~望む/望まぬに関わらず~ 梅野流の「顧客サービス」です(あしからず)。